大塚太良兵衛は1790年(寛政2年)に越後国魚沼郡五十沢舞台村(現六日町大字舞台)で生まれ、石工として20歳から60歳までの40年間に約3000点の作品を制作した。「大福細工覚帳」によれば、作品は石塔・石仏なとの他に、囲炉裏石・石臼などの生活用具や根石・石橋などの土木関係品なども見ら れる。作品は五十沢・城内地区を中心に分布しており、大和町・塩沢町の一部にまで広がる。1850年(嘉永3年)10月3日没。享年61歳。戎名「慈雲玄道信士」。太良兵衡の墓は舞台の共同墓地にある大塚家の墓のすぐ背後に他の石塔と並んで立っている。
※「大福細工覚帳」−−−−太良兵衛が石工として20歳から60歳までの40年間に制作した約3000点の作品について像名・場所・注文主・値段等を記録し たもので、石造り美術史・産業史の上からも貴重な史料である
町指定太良兵衛の石仏のおもな場所
1a、大日如来像(彫刻)小川の養徳寺
自然石を用いた半肉彫の座像。頭上に宝冠をかぶり、胸の前で智拳印を結び蓮台に乗る。
高さ2.9m。1814年(文化11年)太良兵衛25歳の作。
1b、金剛薩捶像(彫刻)小川の養徳寺 大日如来像の左脇侍。丸彫。体躯は逞しく大きく眼を見開き、精悍さに溢れる
1c、愛染明王像(彫刻)小川の養徳寺 大日如来像の右脇侍。丸彫。
2a、役行者像(彫刻)畔地 観音堂
自然石を用いた半肉彫の座像。長い顎髭をたくわえ、裾の短い衣をまとい、一本歯の高下駄を履く。
左手に巻物を、右手に錫杖を持つ。役行者の下には前鬼・後鬼の二匹の鬼を配する。
高さ1.65m。1816年(文化13年)太良兵衛27歳の作。
2b、二十三夜塔(彫刻)下原集落開発センター
養徳寺42世住職専頂の−−−文字の上部に半肉彫による勢至菩薩座像を配する。
高さ2.3m。
1819年(文政2年)太良兵衛30歳の作。
![]() |
|
|
|
|